Ghettoの語源は、ヴェネツィア方言のGetto(鋳造所)から来ており、ヴェネツィア共和国は勅令によって「ゲットー・ヌオヴォ」(新鋳造所)と呼ばれていた地区に700人のユダヤ人を隔離。さらに「ゲットー・ヴェッキオ」(旧鋳造所)もユダヤ人地区としました。《ゲットー・ヌオヴォ》の方が鋳造所としては新しいのですが、ユダヤ人居住区としては古いことに注意してください。
ヴェネツィアは貿易立国でしたから宗教的に寛容でした。もともとヴェネツィアには、イタリアに古くから住み着いていたユダヤ人、アルプス以北との貿易に従事したドイツ系ユダヤ人がいましたが、1492年のレコンキスタ以降、イベリア半島を追われたスファラディ系のユダヤ人が流入しました。彼らはユダヤ人のネットワークを活かして、特にオスマン・トルコとの貿易に貢献しました。
このような狭い空間に閉じ込められることは、多くのユダヤ人にとってはそれほど嫌悪するべきことではありませんでした。同胞に囲まれて安全だったからです。
ところでヴェネツィアの街は私たちから見れば、ほとんど死んだ街です。かつては貿易で栄えた街ですが、今では観光以外にほとんど何の産業もありません。観光客に食べさせてもらっている街です。そのため、治安の良さはこの街の非常に大きな取り柄です。
地球温暖化、地下水の汲み上げなどの理由でヴェネツィアは沈みかけています。絵画は名品がありますから、沈む前にどこかに避難させてくれればと思います。
最初の写真は、1063〜94年に再建されたヴェネツィアのシンボル《サン・マルコ大聖堂》です。アレクサンドリアから略奪してきた福音書記者マルコの遺体を安置しています。日没後の撮影です。
|
|
《サン・マルコ大聖堂》前の広場です。
|
|
ヴェネツィアの《ゲットー博物館》で売られていたガイドブックの地図です。
|
|
南側、ghetto vecchioの入り口です。
|
|
|
|
南側、ghetto vecchioの入り口を内側から見たところです。
|
|
上の地図で9番のシナゴーグのある建物です。スファラディ系の人々のシナゴーグのようです。ガイドを伴ってのみ内部に立ち入ることができますが、なぜか内部は撮影禁止です。
|
|
上のシナゴーグの正面、地図では7番と8番のシナゴーグの入っている建物です。
|
|
ghetto vecchioとghetto novoを結ぶ橋をghetto novoの側から見たところです。
|
|
ghetto novoの広場です。ゲットの外への通路が写っているのですが、見つけていただけるでしょうか。真ん中よりちょっと左に小さく橋が見えています。
レンガ色とでも言うのでしょうか、一軒だけ色の違う建物がありますが、その一階がゲットー博物館の入り口です。外からではさっぱり分かりませんが、内部はずっと右までつながっています。
|
|
ghetto novoの広場です。上と少し角度をずらして撮影したものです。上空からは一目瞭然、それほど広い広場ではありません。子供の影になっている井戸は現在も水が出ます。
この写真の右端に近いところにも上と同じゲットーからの出口が写っています。
|
|
少し引いた場所から、2時間ほど経過した3月初旬、午後6時頃の撮影です。夕刻、子供たちにとっては下校の時間、大人たちにとっては立ち話の時間です。日本人労働者である私にはヴェネツィア人はほとんど働くことをしないように見えます。車も自転車も禁止されていますから、立ち話をするには好条件です。
|
|
上の広場の片隅にホロコーストの犠牲者たちのためのモニュメントがあります。
|
|
|
|
ghetto novoの北側にかかる橋です。
|
|
|
|
つぎはぎだらけであることが良く分かります。上の地図で3番になっているのが丸い小さなものがくっついている建物です。外から見ていて、天体観測をするわけでもないだろうに、なんだろうと思っていたら、とんでもないものでした。外見だけで判断してはいけないということです。
|
|
ラビがタルムードを朗誦する場所の上を見てください。丸く穴が開いているように見えます。なぜこうなっているのか、単なる明り取りなのか、良く分かりません。外から見て「なんだろう」と思ったものの正体はこれでした。
|
|
2番のシナゴーグ内部の様子です。カトリック教会、ルター派教会、カルヴァン派教会、よく分からない派教会、モスク、いくつかのシナゴーグに入ったことがありますが、偶像がないことを除けば、ヴェネツィアのシナゴーグは厚化粧の老婆のようで、カトリック教会に似ていると感じました。
出身地別にシナゴーグを持っていたようですが、このシナゴーグが最も大きく、日本の小中高等学校の教室の2倍ほどの広さです。一階にはゲットー博物館の入り口、売店、カフェーなど、二回にはガラクタのごときお宝の陳列物、三階にシナゴーグがあります。どこもかしこも床が傾き、波打っていましたから、遠くない将来、この建物は倒壊します。足腰が不自由な老人たちのように、互いに寄りかかって立っていますから、倒れるときにはもろとも崩れ去ってしまいそうです。
|
|
《20世紀負の遺産の表紙に戻ります》 |
《20世紀負の遺産の目次に戻ります》 |